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ある大阪の大学生やってる小峰輝久が一生懸命に(or気ままに)書き綴ったものを挙げていきます。


by teltel-challenge

藤田省三『転向の思想史的研究』を読んで感じたことⅣ

―緊張―
 と、ここまでかなり理想的なことを書いてきましたけれども、さて、現実はどうなるのかということになります。私はかなり欲望に忠実で勇の欠けた人間ですから、今まで書いてきたことと自分自身の態度が衝突するというのはままあるでしょう。そして、自分のエゴイズムを勘定に入れずに、理想的なことを書きっぱなしで終わるというのは、なんというか、戦術戦略に欠けるのではないかと思うのです。しかし、ここでさらに戦術戦略に関して思うところをたらたら詳述するのは長くなりますからやめにしたいと思います。
 では、最後に何を書くかというと、その戦術戦略の核心にあたるのは何か、ということです。これは卒論の軸になると思いますから、書いておきます。核心とは先ほど述べましたところの、思考をけん引する違和感だと私は思います。特に、緊張です。藤田省三もなにかと緊張、緊張と言っています。理想と現実のはざまで内的緊張を感じるときにのみ、人間は戦術戦略を考えうるのです。今まで私が書いてきたことと、私の行動が一致するだろうかという緊張があるときにのみ、私はこれらを比較的、一致させることができます。緊張というものをずっと失わないようにしないといけない。失わないように考え、行動しないといけない。それは道の目印であり、船乗りの北極星です。それゆえ、私は敗北を重視する。勝利と死は緊張をもたらさないのです。敗北だけが常に緊張をもたらします。
―ゲーム―
 しかし、緊張を常に失わないようにするなんてことはできっこないと私は思っています。そういうときは、休むに限る。それはどういうことかというと、人生なんてどうせゲームだとうそぶいてみることです。これは別に現代っ子特有の考えでもないと思います。

「人生を戯と認めながら、其戯を本気に勤めて倦まず、倦まざるが故に能く社会の秩序を成すと同時に、本来戯と認るが故に、大節に臨んで動くことなく憂ることなく後悔することなく悲しむことなくして安心するを得るものなり 」。もし戯という面がそれ自体実体性を帯びるとそこからは宗教的逃避や虚無的な享楽主義が生れるし、真面目という面が絶対化されると、現在の situation に捉われて自在さを失い易い。真面目な人生と戯れの人生が相互に相手を機能化するところにはじめて真の独立自尊の精神がある。(福沢諭吉の哲学p111)

この戯が私の言うゲームとまったく同じかわかりませんが、とりあえず引用しておきます。
by teltel-challenge | 2015-06-06 09:42