人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ある大阪の大学生やってる小峰輝久が一生懸命に(or気ままに)書き綴ったものを挙げていきます。


by teltel-challenge

『文学入門』 桑原武夫 拾い読み

最近、年月を経た本を読むことにしている。新刊本を否定するわけではないけど、名著と呼ばれる本の多くはあまりはずれがない。新刊本だとそうはいかないのだ。低リスク・ハイリターンなのが名著と呼ばれてるものだ。

ということで、ブックオフの名著コーナーこと105円新書の棚で見つけた本がこれ。1950年に第一刷が出ている岩波新書の本『文学入門』だ。良い本だった。私の疑問にうまく答えてくれる本だった。「なぜ、文学が必要なのか?」「文学が果たしていく役割」「大衆文学とは何か」……などなどが問題になっている。

私はこれを半分(90%くらいかも…)自分のために書いているので、わかりやすい要約などは書かないが、いくつか気になったところを挙げて、その感想を書いていこうと思う。

1.「すぐれた文学の面白さ(インタレスト)を感じるというのは、むしろ能動的に我々が作品と協力し、しかもそこに楽しさを感じることであり…(中略)…何ものかに働きかけようとする心の動きであって、必然的に行動をはらんでいる」p.12

文学あるいは小説を読むというと、どうしても受動的な感じがしていた。だから、小説を読みながら書き込みをするという事は想定もせず、ペンを持って読むなんてことはなかった。しかし、ある友人はあるフランス小説を読みながら「いかに生きるべきか」を探って、線を引きつつ本を読んだそうだ。

2.「彼(文学者)はそうした全身的なインタレスト(関心・利害・興味interest)を持つことによって均衡を失った自己と現実との間にギャップを痛感し、現実に働きかけ、これを変化せしめることによってギャップをうずめようとする。」p.17

文学者の夢想(自己)―たとえば、男女の愛―は、彼の作りだした世界・設定の持つ法則や条理(現実)―二人が敵対する家の生まれだった―によって、そのまま許容されることなく、変容する。と同時に、現実もまた文学者の夢想によって変化させられる。その自己と現実の緊張した均衡が、その作品をすぐれた文学にする。そして、それは読者に新たな経験(experience)を与えるのだ。
だが、私は文学の大切さを認めると同時に、他の人間との交流という経験の方が、やはり人間を変えるのだろうなと思ってしまう。これは私自身の経験則。

3.「すぐれた作品はみずから読者を作り出す力を持っている」p.45

これは様々なことに言える。たとえば、現在のサブカルチャーを見てみても、新たな顧客層を開拓する作品が少なくない。『進撃の巨人』『魔法少女まどか☆マギカ』などがそうだ。しかも、それらは大衆に歩み寄ると同時に、今までになかった文化を作り出した。現実主義的なサブカルチャーを。(桑原は文学にはロマン主義でなく、現実主義が必要だと説いている。)

4.「その秩序がいかに良い、またいかに美しいものであっても、それに満足しえない精神を持つものが、文学者なのである」p.53

これは文学者だけでなく、哲学者もそうなのではと思う今日この頃。

5.「大小説には必ず退屈な個所があって、怠慢な読者を追っ払うようにできている。」p.89

これは学問の本にも言えること。だから、こう思うことにした。本って言うのは友達・恋人みたいなもので、友達は好きで遊びに行っても、やはり退屈なときがある。それでも、私たちは友達に付き合うだろう。それと同じで、本を一人の友達として付き合っていく。別にすべてを好きにならなくてもいい。すべての時を楽しく過ごそうとしなくてもよい。

6.「文学作品は一つの純粋に完結した経験ではあるが、それはあくまで人生における人生の経験であって、それに始動力を与えるインタレストは、我々が日常の人生において持つところのインタレストと、その性質を何等異にするものではない」p.100

この文を読むと、なぜ中学生の時に夏目漱石の『こころ』を読んで全く面白くないと思ったのかわかる気がする。そのときには、まだ『こころ』の持つインタレストに、私の人生のインタレストが反応しなかったのだ。『こころ』のインタレストが、日常の人生において持つところのインタレストだとわからなかったのだ。

7.「そこ(文学評論)では、もっぱら作者の意図と作品におけるその成功度の探究に力がそそがれているが、社会人の代表として、その享受を基盤として研究を進めること、例えば一個の小説を読むことが、読者にどのような喜びと悲しみを与え、どのような経験を形成するか、を示すといったようなことが、ほとんど行われなかった」

素直に感心した。ぁ、たしかに……みたいな。岡田斗司夫は『まどマギ 叛逆の物語』の批評で、「俺たちはあそこまで(魔法少女たちほどには)純粋になれない」と語っていた。それは岡田が社会人の代表として行った、「まどマギ」批評なのだろう。

8.「一般に、日本の若い学生諸君は、まず普通(共通基盤)の世界における鍛錬を差し置いて、いきなり安直にささやかな独自性に到達しようという憧れが、強すぎるように見える」p.119

文学必読文献リストを作ることの必要性を説いた文章。これは私にあてられた文章だろう。私は独自性を求めつつも、やはり共通基盤の上で鍛錬せねばならない。が同時に、独自性を求める心を忘れてはならないと思う。

9.「じぶんに強い思想(これはカントの思想とかではなく、ものとものとの関係や様々なものの因果関係のこと)がないと、ひとの書いた本当の人間らしい、素直な言葉が、わかりきったことのように見える。日本では、あらゆることが「わかりきったことさ」と言う一言で片づけられる。」p.153

これも私に向けられた文章。けっこうわかりきったことをグダグダ言うなと思うことも多かった。しかし、もしかしたら、その中にこそ人間らしい言葉が描かれていたのかもしれない。

『文学入門』はなぜ文学を読むのかと言う疑問に答えてくれるとともに、文学から離れていた私を再度文学へと差し向けてくれた。また、引用しなかったが、筆者は文学を軽視する学者の書く論文は現実から離れており、また、現代において思想と文学はますます協働性を強めていると書いている。私はこれを読んで、自分の思想を一度物語にしてみることで、自己(思想)と現実が均衡を保たざる得なくなり、自らの思想と現実をの変容を見ることができるだろうと思った。抽象化された思想を具体に戻すことで、新たに何が見えるか、それが気になる。『文学入門』は一時的かもしれないが、私という一読者に物語を書かせたいと思わせた。それほど、強い力を持った本である。
by teltel-challenge | 2014-01-03 22:05