ある大阪の大学生やってる小峰輝久が一生懸命に(or気ままに)書き綴ったものを挙げていきます。


by teltel-challenge

ある試み 10日目

風が涼しい昨日の晩。今日ならいけるかなと思い、ふかふか芝生の上にテントを建てましたが、、、
寝れませんでした。寝なきゃ寝なきゃという強迫観念が神経過敏を呼び起こし、不眠への恐怖を煽る。完全に負の連鎖です。ダメです。ノックアウトです。

いつものようにテントを捨てて、シェアスペースに逃げ込みました。
「野宿、無理」
これがたどり着いた先で放った第一声です。
これ以上すると、教育実習先の生徒に迷惑がかかることが確実なので、野宿を断念します。睡眠の難しきことよ。

しかし、昨日、なんと野宿仲間ができました!たびたび野宿をしているというのです!そして、今度その方と淀川のホームレスを尋ねるという約束を交わしました。いったいホームレスのひとはどうやって住環境を整えているのだろう?
野宿を敢行して以来、ずっと疑問に思っていました。14日間溜めた疑問を解決する手立てが整うかもしれん。
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# by teltel-challenge | 2015-06-08 18:11

ある試み 8日目

おはようございます、みなさん。
今日も寝不足です。寝るって難しい。ほんとは食うのも着るのも難しいんだろうな、この調子じゃ。

3日前の雨の日にさんざんな目にあって以来、野宿恐怖症になっていたのですが、天よし風よし気温よし、再び野宿を始めました。

到来するであろう雨のの日のために、屋根があるところで寝ることに。

課題1:床がコンクリートで硬い。

もちろん、屋根が上にあるということは下はコンクリートなわけで、大変寝にくいのです。これを解決するためにマットでも買うか、、、しかし、高い。どんだけ金払ってんだよ、何のために野宿してんだよ、となるので知恵を絞りました。

何がいいかな、何かいいものはないかなと徘徊しているうちに、野宿入門という本で見たある図を思い出しました。

新聞紙、これぞ我が道。

ということで、石橋駅へと降りてゴミ箱から新聞紙をゲット。朝日と日経。ついでに途上でダンボールをふたつゲット。

くしゃくしゃにした新聞紙をダンボールで挟むと、ほら、マットの完成です!
金を使わずにマットができて、謎にテンションが上がって、そのままなんでもできる気になって、図書館前にテントを立ててしまいました。戦闘的野宿です。かかってこいや!おらぁ!

という、この判断が大きな過ちで、休日のため警備員は来ず、しかし人通りは多く、うるさくて寝られず、散々でした。また野宿恐怖症に陥りそうです。

でも、嬉しいことにFACEブックを見て、友人が応援?に駆けつけてくれました!俺が眠そうだったため、あんまり話せませんでしたが、いろいろあるそうです。安寧。

まあ、最後に一時間くらい寝れたんですけどね。まったく二次面接の前日に何やってんですかね笑
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# by teltel-challenge | 2015-06-07 09:46
―緊張―
 と、ここまでかなり理想的なことを書いてきましたけれども、さて、現実はどうなるのかということになります。私はかなり欲望に忠実で勇の欠けた人間ですから、今まで書いてきたことと自分自身の態度が衝突するというのはままあるでしょう。そして、自分のエゴイズムを勘定に入れずに、理想的なことを書きっぱなしで終わるというのは、なんというか、戦術戦略に欠けるのではないかと思うのです。しかし、ここでさらに戦術戦略に関して思うところをたらたら詳述するのは長くなりますからやめにしたいと思います。
 では、最後に何を書くかというと、その戦術戦略の核心にあたるのは何か、ということです。これは卒論の軸になると思いますから、書いておきます。核心とは先ほど述べましたところの、思考をけん引する違和感だと私は思います。特に、緊張です。藤田省三もなにかと緊張、緊張と言っています。理想と現実のはざまで内的緊張を感じるときにのみ、人間は戦術戦略を考えうるのです。今まで私が書いてきたことと、私の行動が一致するだろうかという緊張があるときにのみ、私はこれらを比較的、一致させることができます。緊張というものをずっと失わないようにしないといけない。失わないように考え、行動しないといけない。それは道の目印であり、船乗りの北極星です。それゆえ、私は敗北を重視する。勝利と死は緊張をもたらさないのです。敗北だけが常に緊張をもたらします。
―ゲーム―
 しかし、緊張を常に失わないようにするなんてことはできっこないと私は思っています。そういうときは、休むに限る。それはどういうことかというと、人生なんてどうせゲームだとうそぶいてみることです。これは別に現代っ子特有の考えでもないと思います。

「人生を戯と認めながら、其戯を本気に勤めて倦まず、倦まざるが故に能く社会の秩序を成すと同時に、本来戯と認るが故に、大節に臨んで動くことなく憂ることなく後悔することなく悲しむことなくして安心するを得るものなり 」。もし戯という面がそれ自体実体性を帯びるとそこからは宗教的逃避や虚無的な享楽主義が生れるし、真面目という面が絶対化されると、現在の situation に捉われて自在さを失い易い。真面目な人生と戯れの人生が相互に相手を機能化するところにはじめて真の独立自尊の精神がある。(福沢諭吉の哲学p111)

この戯が私の言うゲームとまったく同じかわかりませんが、とりあえず引用しておきます。
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# by teltel-challenge | 2015-06-06 09:42
―敗北―
 私はまだ若いですから熱しやすく、何かと自滅主義的なところに走りがちです。しかし、死ほど安易なものはありません。それは単なる政治からの逃走にすぎません。勝てないにせよ、負けなければならない。死を選ぶのは最後の最後でしょう。狂熱的な戦闘者の頭には死と勝利しかなく、敗北は存在しない。そして、おそらく戦闘者は狂熱的な存在ではないかと思うのです。(吉本隆明) そのような安易な狂熱を排したところに、私の敗北主義があります。というよりも、あってほしいと思います。では、私はどのような敗北を選ぶべきでしょうか?
常識の伴った人間には二重の敗北が着せられていると私は考えています。ひとつは老教師のような理想に対する敗北、もうひとつは国家や組織に対する敗北です。これらふたつはもうどうしようもないのではないか。
 理想は常に現実/自分の否定として存在していますから、勝てない存在です。勝ってはいけない存在です。現実が理想に勝利した瞬間とは、理想が消滅した瞬間にすぎません。
組織や国家に対してもやはり勝てない。既存の組織をぶっ潰すにせよ、既存の国家をぶっ潰すにせよ、集団の力が必要だと思われますが、いつの間にかその集団が新たな組織や国家になっているからです。
理想はともかく、組織や国家に対してはできるだけ優位でいたい。理想(少なくとも欲望)に基づいて行動させてほしい。では、どうしようか。とりあえず、私はそれに対して批判を行うことでしょう。
―批判―
 批判を行うというのは、非常にせこせこした嫌なものだと考えられています。「あいつは批判ばかりだ!」「批判しないで行動しろよ!」というのは、悪口です。
 しかし、批判ほど難しく大切なものもないと思います。その大切さとは何でしょうか? 安倍政権批判の論客である古賀茂明氏は最後の「報道ステーション」である言葉を引いています。

あなたのおこなう行動が、ほとんど無意味だとしても、
それでもあなたは、それをやらなければなりません。
それは世界を変えるためにではなく、
あなたが世界によって変えられないようにするためにです。

 ガンディーの言葉であると伝えられています。このような自分を守るというものが批判の力だと思います。もちろん、古賀氏は妥協に失敗しましたけれども、自分が世界によって変えられないようにするというこの批判の持つ意義は変わりません。
 この言葉を私なりに解釈させていただければ、「理想を忘れるな」ということだと思います。批判を行わないうちに、お前は外面だけでなく内面まで変えられてしまうぞ、ということです。というのも、行動(現実)と行動規範(理想)が連関を失い緊張を失ってしまうからです。ひたすら現実に従った行動をしていると、なんとか反復しなんとか強化され維持されるべき行動規範が薄れてしまい理想を忘れがちになるというわけです。そして、「現実を見ろ! 理想なんて捨てちまえ」ということになります。「現実主義者」にとって理想は綺麗ごとだということになります。本来、理想は血みどろなんですけれども、そんなことには気づかない。批判という行動は、行動と行動規範の緊張関係の中で繰り出されるものです。批判という行動によってなんとか理想という規範を強化し維持し、緊張を保ち続けなければならない。
 しかし、「現実主義者」の言うことも一理ある。それは現実というものが手強いということです。そこで問題になるのが妥協ということになります。どこまで下がるのか、どこまで敗北するのか、そこらへんはちゃんと考えないといけない。敗色濃厚なんてやりあう前からわかっている。保身と妥協が必要です。「現実を見ろ」式の説教から有用なところを抜き出せるとしたら、現実がどう作用しているかというくらいなものです。それはそれで面白く私もよく聞き入りますが、その説教は単なる戦況報告にすぎず、肝心の理想や戦術戦略、すなわち妥協に関してはあまり聞くところがない。当然です。理想がないところに妥協も保身もあるはずありませんから。せいぜいどこかに書いてあった法や誰かから聞いた道徳、これらを犯したくらいなものでしょう。
―妥協―
 ようやく、ここで妥協の話に移ると言いたいところですが、これらは転向と同様に一般化できるものではないと思います。だから、ここではその話はしません。これは卒論の課題になると思います。
―批判2―
 ですから、もう少し批判についての話にお付き合い願いたいと思います。批判というのは、言うのは簡単ですけれどもやるのは難しい。それには、日本特有の根性主義によって抜き取られる根性というもの、だれにでも備わっている男気というもの、すなわち私に最も欠けている徳のひとつである勇というものが必要になります。それがないと男女に限らず誰もが女々しくなってしまう。勇がなくては批判も何もできません。しかし、勇とは何でしょうか? これが勇だという風に定義することはできませんが、なんとなく考えているところはありますから、それを述べさせていただきます。
勇というと、敵に対して恐れずに向かっていくという風な感じがします。十万人か百万人かに対して三百人で向かっていくという風なものです。私なら在特会に対してカウンタースピーチをするというのもそれに当たるでしょうか。たしかに勇とはそのような側面もある。しかし、私はあまりその面を評価しません。勇というのは、敵ではなくむしろ味方というか、自分の属している組織や共同体に向けてなされるときにはじめて試される、と私は思います。敵対者に対していかに勇敢に振る舞おうと、目上の者を諌めることもできなければ、そこにどんな勇が認められましょうか? そして、私の経験では前者よりも後者のほうが圧倒的に難しいのです。
敵対者に対して勇敢に振る舞い、それで死ねばいいと思っている。そのような戦闘者の頭には勝利か死のみがあり敗北は存在しません。敗北したくないからです。これは勇から最もかけ離れた行いです。なぜなら、敗北を受け止める力もないからです。それらのような勇がないことを隠すために、敵対者に対する蛮勇に身を委ねるのだと私は思っています。実際に、私も含めて敵対者を異常に攻撃する人間は、目上の人間に対して非常に従順であるように思われます。しかし、私が想定している批判は、敵対者よりもむしろ身内に対して向けられるものである方が多いのですから、そのような勇がなくてはどうしようもありません。
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# by teltel-challenge | 2015-06-06 09:41
―理想―
 とりあえず、前置きをこれくらいにして、最近考えていることのあれこれを述べていきたいと思います。保身と妥協、これらは理想とか、せめて欲望があってはじめて成り立つものでしょう。こうしたい!という理想(あるいは欲望)がなければ妥協も何もありはしません。ただ、現実がのしかかってきてそれに押しつぶされるだけです。それはそれでよい。ですが、私はそうは生きたくない。ここで私は理想に関して、後々のために少し詳しく述べさせていただきます。
 理想は現実を否定するために存在しています。理想を目指すとは、現実を否定して理想により近い社会や人間を目指すということです。そのため、理想は行動規範となります。理想は達成できるものではなく、目指すべきところであり、道を指し示すものとなります。たとえば、儒教は「君子」を理想の人物像としていますが、その君子という言葉は今の自分を否定するものとして働く。孔子が目指した「周」の国なども現実の国の状態を否定するものとして作用します。そうしてひとりひとりが自らの理想を目指して行動する、という風にすれば、おそらく誰も現実に押し流されるままということはない。現実を否定する理想が、現実の侵攻を食い止めようとするからです。
 では、各人にとっての理想はいかに形作られるか? それは現実と直面してからではないかと私は思います。すでに理想として与えられた「君子」や「周」も、現実に直面しないとその真価がわかりません。自分自身をある型におしこめ苦しめる現実(これは過去の自分自身ということもあります)と直面し、その型と自分自身の間に生まれる歪み、そこから理想というものが生じるのではないかと思います。ですから、理想というのが先にあるのではありません。理想は後から作られます。
 それはどういうことかというと、私が理想を形作った時には、すでに私は何らかの形で妥協していることに気づかされるということです。理想を作ったとき、自分の立っている場所は後退しているところにあったということだと思います。すでに自分は妥協している状態から始まるのです。そこから理想に向かうことになる。
 その理想を形作るのだって大変です。そもそも理想を作るには理性というよりも自分自身の感性、違和感を大切にする必要がある。吉本隆明にこんな言葉があります。

「心の中で少しでも「いや」というか、悪いことじゃないんだけれども、何か浮かない感じだなと思ったら、必ずそれはもう言うべきであったっていうのは、やっぱり戦争の終ったときの反省した一番のことなんです」

この言葉を聞けば、その立場がどうあれ吉本が一本筋通していた人間だというのはよくわかります。
 「何か浮かない感じだな」と思いそこから考えて違和感をひとつひとつ明らかにし、そうして違和感を解決する形で理想ができる。思考の根本に感性があるとはよく言ったもので、その感性を大切にしなければ思考というものは始まらず、理想だって作ることはできない。違和感を大事にしないといけない。しかも、そのような違和感は微小なものであるだけに、現実が侵攻してきている状況でそれを感じ取ろうとするのはかなり難しいものだと思います。しかし、理想を持たないことには、ただひたすら現実を追随するだけの「現実主義者」になってしまう。理想は大切です。
―現実―
 さて、理想を持って、さあやるぞ! と静かに意気込んだとしても、おおよそそんな理想は達成できるものではありません。現実というものは何らかの力をもって、理想に向かう私をある型に押し込めようとしてくるということです。その力は、現実の否定である理想を基に行動する私に反発してくる。それに対してどうするのか? 理想のために討死でもするのか?
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# by teltel-challenge | 2015-06-06 09:40
―はじめに―
 今までの発表ではいろいろよくわからないことをしてきたので、ひとつ常識を前面に押し出して真面目にやってやろうと思い、今回は保身と妥協について発表させていただくことにしました。多くの方にとっては、「そんなことは当然だ」という程度のレベルのものだと思われますが、私はまだ若いはずですから、お許しいただければと思います。
まず、このような俗っぽいことを書いた動機について短くお話しすることにします。
 これについて意識的に考え始めたきっかけは、やはり保守政党から極右政党に成り下がった自民党、特にその自民党憲法草案の一節を目にしたときだったと思います。

第十二条 
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 私はこれを見て非常に驚きました。一見正論に見えるこの「道徳」は国家による人権侵害を実質的に肯定したものだったからです。実際に、言論の自由は徐々に奪われていっている。反安倍を標榜した古賀氏らが「公正中立」な報道を求める自民党の圧力によってテレビ朝日の「報道ステーション」から降ろされたり、政権からの明らかな圧力はなくともサザンオールスターズの桑田氏が自らの安倍批判を撤回させられたりしている。少しの圧力をかければ、自主規制の雰囲気が蔓延するのも早く、多くのメディアはすぐに押し黙ってしまいます。全体主義が蔓延する所以です。
 もうひとつのきっかけは社会に出る前の忠告として「現実を見ろ!」式のお説教を受けることが多くなったからです。まったくその通りで現実はしっかり見据えなければならないのですが、そのような「現実主義者」の話は基本的に面白くない。なぜなら、後々を考えてちょっと気取った表現にしますが、彼らは勝利か死しか語りたがらないからです。敗北を語りたがらない。

金八先生みたい教師になるんちゃうんか! そう自分に言い聞かせてきたが、ついにできなかった。

と、定年で退職しなさった体育教師は、幼く反抗的な高校生だった私を前にして語ったことがあります。かの教師はちゃんと敗北したということを語ってくれました。それは記憶に残っている。その敗北の理由をもう少しお聞きできれば、彼なりの生き方が、つまりどこで身を保ち、どこで妥協したかということが見えてくるのですが、残念ながらそんなことを当時は考えもしませんでした。
 上記が示唆しているように、私が想定している保身と妥協は、理想と現実の間で引き裂かれる個人というものの戦術戦略を示す言葉です。国家にせよ学校にせよ会社にせよ、個人を何らかの形である型にはめようとしてくる。これに対し、いったいどうすればそれを批判し自らをぎりぎりのところで保つことができるのか、という問題意識が私の中にはあります。
―転向―
 そういう関心をぼんやりと持っていながら、日々を送っていますと、ぽっと「転向」という言葉が頭に浮かびました。転向とは、と定義から説明するとさまざまな歴史があってややこしいのですが、代表的な事例を述べるならば、昭和前半期に自由主義者や共産主義者が国家主導の天皇制ファシズムを容認する方向に立場を変えた諸現象のことです。それは自発的に行われることもあれば、国家権力に屈してということもあります。
 藤田省三の『転向の思想史的研究』という本を読んでみると、これなかなか面白くて、大学に入って以来、これほど面白い本は読んでいないぞと思うほどでした。なぜ面白いかというと、そこには転向(=妥協)せざるをえなかった人間がそれでもやはり体制を批判したり、自分の内面に対する国家権力の侵入を防ごうとする姿が描かれているからです。その試みがいかに失敗し成功したかが書かれているからです。もちろん、戦前だけではありません。戦後の国民的集団転向の問題も取り扱われています。
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# by teltel-challenge | 2015-06-06 09:38

試み8日目

今日は、研究室のベッドで寝かせていただきました。研究室では寝ませんと宣言しましたが、早々に断念です。すいません。

寝袋をからだにかけ、クッションを頭の下にもっていくと、すぐに眠りに落ちてしまいました。

まあ、なんの障害もなく朝までぐっすり寝ることができました。
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# by teltel-challenge | 2015-06-05 16:20

ある試み 7日目

雨でした。ということは、、、
野宿クライシスです。

今日はほとんど一睡もできないまま朝を迎えてしまいました。まあ、それにはいろいろ不都合が重なったわけで。

やっと今日の教育実習が終わって、大学に着いたら、研究室の先輩と会ったのでごはんに行きました。そこまでは良かったのですが、、、
採用に関わる書類の記入に難航し、0時くらいに雨の中、証明写真を撮ったり、封筒を買ったり、速達の代わりにレターパックという謎の封筒を買ったりと、いろいろ動き回ってたんですね。寝なくちゃいけない!と慌ててたせいか、計画を立てずミス連発でやたら苛立っていました。

まあ、なんとか仕事が終わり、シェアスペースに帰って、シャワーを浴びて、いざ出陣!となったのです。が、大学に着くとだんだんと雨が強くなってきて、テントを早くはりたい、早く中に入りたいと思うあまり、少し傾斜のあるところに張ってしまったんです。

傾斜で寝にくいわ。雨が強いわ。強くなってくるわ。浸水してくるわ。寝れなくてひとりでイライラしてるわで、もう大変でした。とうとう3時半くらいにテントを捨てて、クッションと寝袋とカバンを持ってピロティ向けて駆け出しました。

結局、ピロティでも寝れずに孤独感を募らせ、駄目元で友達にラインしてももちろん返事は来ず。

4時半くらいに諦めて研究室で寝ようと思い、防空頭巾兼寝袋で雨を防ぎつつ寝床に舞い戻りテントをたたんで、5時に文学部のドアが開くと同時に研究室へぶっ倒れました。

まあ、そのときによかったのは、夜が白み始めるところを見たことでしょうか?雨に濡れた朝は光の加減も抜群で、とてもキレイです。なぜか力が湧いてきますね、そういうのを見ると。
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# by teltel-challenge | 2015-06-03 09:25

試みる理由

いま、寝るという試みをしているところですから、その理由について簡単に述べさせていただきます。

ひとつ、シェアハウスがある事情で3週間使えなくなったこと。

ふたつ、大学の当局による私物化に反対すること。住んだっていいじゃないか!住めんるんだから!

みっつ、人間の最低限度の住居環境を探る。

よっつ、ホームレスでなくともテントに住むことを肯定し、ちょっと新しい社会を模索する。住所なんて実はいらないんじゃないか?

以上です。
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# by teltel-challenge | 2015-06-02 07:33

ある試み6日目

快眠です!6日目にしてはじめての快眠!テントとクッションでだいぶ寝やすくなりましたが、なりより草むらの上で寝たというのが一番大きいでしょう。

今までは硬い板の上で寝てたので、体が痛い。かつ非常に寝苦しかったのですが、草むらで寝ると下はふわふわのクッションのようで、とっても寝やすかったです。地面の硬さでここまで違うかと、布団のありがたみを実感しました。

さて、今日は開けた野原的庭園で寝させていただきました。場所は言いませんが、だいたいわかりますよね。夜露がすごかったです。まるで雨でも降ったかのようでした。いや、降ったのかな?

そこらへんはわかりませんが、とりあえずしばらくはあそこで寝ようかなと思います。

そういえば、おとといの夜は友人宅で泊まらせてもらっていました。なので、更新していません。
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# by teltel-challenge | 2015-06-02 04:45